
嫉妬
京都から通天閣の飛田の店に入ったのは夜の10時を回っていた。おそらく話は終わっているだろうと思っていたがまだ団長と昔の姉さんはにこにこ笑って話している。
「周平やねえ?」
「ご無沙汰してます」
どことなく記憶の片隅に残っている輪郭だ。今は60歳を越えてると思うが、あの頃は地下の舞台で唄っていたアンの先輩だ。
「今は動物園近くの映画館で切符のも切りを。ここの女将さんが探して下さったの」
団長はすでに詳しい話を聞き終わっているようだ。手帳も閉じられている。
「アンが一度35歳頃再婚を考えた時期があったのよ」
団長が言うのに合わせて姉さんが古い写真を取り出しておく。アンと姉さんとちょび髭をはやした男が写っている。この男にも記憶があった。時々アンの部屋に泊まっていくことがあった。
「彼はその頃舞台の脚本を書いていたのよ。見た目より若くてアンより4つ下だったかな。売れない物書きで彼女が小遣いを渡していた。よく二人で映画を見に行ってたわ」
周平の中に男の言葉がよみがえった。
「お前は本当はアンの子なんだろう?俺はどちらでも構わんがな」
と言って暇があれば何かノートに書き続けていた。
小説を書く引き金はこの男かもしれない。自分が読んでいた本をせっせとこの部屋に運んできてくれた。だが、彼が書いた作品はこの時は目にすることがなかった。こういう同棲生活は3年ほど続いただろうか。ある日を境にこの男がぷつりと消えた。
「アンは二人目を妊娠した。男は喜んだがアンは一人で中絶をした。それが縁で別れたと思う」
記憶の片隅に残っている。男の大きな鞄が消えていた。
それから1年ほど経った、ある日卓袱台の上に一冊の月刊誌が拡げられたままになっていた。名前は知らない作家だが有名な賞を採った作品だとあった。これは踊り子としがない物書きの物語だった。そこにはなまめかしく怪しいアンという女と不思議な捨て子が描かれていた。主人公は最後は捨て子に嫉妬してこの街を出てゆく。
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